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2017.01.27

桑田真澄の壮絶すぎる人生と諦めない志を学ぶ!┃いじめ、栄光、借金、手術‥

栄光とどん底を味わった名選手「桑田真澄」をおさらいする

こんにちは、GronGブログ編集部です。

本日は寄稿記事となります。

「桑田真澄」さんの生い立ちから引退後までを詳しく書いていただきました。

普段のGronGブログ編集部の書き方とは異なりますが、楽しくお読みいただければと思います。

本日もよろしくお願いします。

「取ってこい!」


桑田真澄に初めて野球に触れたのは小学低学年の頃。

教えたのは父親(桑田泰次)だった。

父親は、キャッチボールで、息子の返球を、自分の体の正面に来た球しか捕らず、外れたボールは「取ってこい!」と取りに行かせた。

トスバッティングも、自分が投げたボールを、息子がノーバウンドかワンバウンドで自分に打ち返さなければ、取りに行かせた。

桑田真澄は、うまく投げ返されなかったり、打ち返せないと、その度、ボールを取りにいった。

また桑田真澄のグローブは、父親が綿を全部抜いたためペラペラだった。

ペラペラのグローブでは痛いので、ネットの部分で捕球すると父親は怒った。

痛くても、ちゃんと真ん中で「パンッ」と音が鳴るように捕ることを教えた。

桑田真澄は、小学2年生からソフトボールチームに入り、いきなり6年生のAチームに入った。

小学4年からは少年野球に入り、ここでもすぐにAチームになった。

年上のチームに1人上がると、妬みからか、イジメにあった。

桑田は小中高と通じて、常にイジメられ、そしてへこたれない一匹狼だった。

父親は野球が好きで好きで仕方ない人だったが、仕事は長続きせず、よく酒を飲み、ケンカもした。

家では食卓をひっくり返し、モノを投げつけた。

やがて離婚し、姿を消した。

桑田真澄も小学校ではワルかった。

ケンカと野球ばかりして、勉強は全くせず、テストは0点ばかり。

母親はしょっちゅう学校に呼び出された。

中学校で勉強を開始


(八尾市立大正中学校)

中学進学時、成績は230人中、220番だった。

しかし桑田真澄は、ここから勉強をし始めた。

そして成績は上がっていった。

ケンカと野球ばかりだった小学生は、勉強と野球ばかりの中学生となった。

これは後にPL学園高校に進んでからも続き、成績は常にクラスで2番か3番だった。

中学の野球部でも1年生からAチームだった。

朝練は、まず、ランニングをグラウンド5周。

次に、タイヤを引いて5往復。

それからキャッチボール。

夕方の練習は、ランニングをグラウンド10周。

そしてタイヤを引いて走ってから野球の練習がは始まった。

部活が終わってヘトヘトで家に帰り、食事をして、素振りやランニングなど自主練習を行った。

「桑田だけもう200回。」

桑田真澄は、PL学園高校に進学した。

この野球部に入る中学生は、みんな全国的なチームのエースか4番バッターだった。

桑田真澄は、中学時代、チームのエースとして、大阪の田舎の地区大会で優勝したが、PLでは、ピッチャーとして目立たず、外野手に回され、球拾いをしていた。

清原和博は、1年生から、フリーバッティングで140m級のホームランを放ち、練習試合でも活躍し、すぐにレギュラーとなった。

ある日、ノックを受けて、外野から返球する桑田をみて、再びピッチャーに戻すよう監督に進言したのは、清水一夫だった。

清水一夫は、報徳学園などで監督をし、PL学園高校野球部には、臨時コーチとして来ていた。

そして投手陣が集まり、スクワットを100回やり終えたときも、清水一夫は「はい、桑田だけもう200回。他の者は数を数えてやれ。」といった。

練習後、1年生の桑田には、炊事や洗濯の仕事があったが、それが終わると清水に呼ばれ、全身をマッサージさせられた。

マッサージの後は、ローソクに火をつけ、それが消えるまで、タオルを握ってのシャドーピッチング。

最初は殺意を抱いた桑田だったが、マッサージは、後に指の力を養うためのものだと気づく。

握力ではなく指の力。

握力が強いから肩を壊さないということはないが、指の力が強いと肩を壊しにくいという。

そして「コントールが良ければ変化球はいらん。」と清水は、桑田にストレートのコントロールをつけることだけを教えた。

こうして指も腕も脚も鍛えられた桑田真澄は、やがて1年生レギュラーとなり、ストレートとカーブだけで、3年間、甲子園を沸かせた。

言いわけはしない

桑田真澄と清原和博は、3年間、すっと教室で隣同士だった。

野球部の寮の部屋も隣同士。

仲は良く、共に野球バカだったが、性格は正反対。

清原は明るく、桑田は無口。

清原は番長。

桑田はケンカの止め役。

桑田は勉強好きで、熱心に授業を受けたが、清原は寝ていた。

「僕にとって最高の道をください。」

桑田真澄は、春の甲子園は50日前から、夏は100日前からお参りを行ったが、同様にドラフトの100日前からお参りをした。

ジャイアンツに指名されたらプロ入り。

指名されなければ早稲田大学へ進学。

そう決めていた。

そしてドラフト当日、桑田真澄は、ジャイアンツに1位で指名された。

うれしかったが、清原を傷つけないように下を向いた。

この後、桑田真澄は、ダーティーなイメージを植えつけられてしまう。

裏切れたヒーロー、清原。

したたかな桑田。

ジャイアンツに入団発表の日。

桑田真澄は、「200勝します。」といった。

そして『君は平喘と嘘をついたね。』という記者に対しては「そう思うなら思ってください。」といった。

この後も、裏金疑惑や野球賭博疑惑、土地投機失敗による借金地獄など、いろいろなスキャンダルに見舞われるが、桑田真澄は、一言も弁解しなかった。

密かに闘志を燃やしていた。

プロ入り

1986年、甲子園で通算20勝、防御率1点台の高校野球のヒーローが、それなりの自信をもって迎えたプロ1年目。

結果は、登板回数:15回、投球イニング数:61回1/3、2勝1敗、防御率:5.14。

桑田真澄は、プロの凄さに圧倒され、絶望的な気持ちになった。

そしてトレーニング本を買い込み勉強を始めた。

そしてジムに通い、ウエイトトレーニングを行い、正月も走り込んだ。

2年目は、登板回数:28回、投球イニング数:207回2/3、15勝6敗、防御率:2.17。

防御率は1位(最優秀防御率)だった。

ゴールデングラブ賞、ベストナイン、最優秀投手、沢村賞も獲得した。

「桑田は金に汚い。」

1989年、プロ3年目の夏。

週刊誌に、スキャンダルが報じられた。

それは昨年12月に、アドバイザリー契約を結んでいたカドヤスポーツから不明瞭な金が桑田真澄の口座に振り込まれているというもの。

振り込みを知らなかった桑田はすぐに返金した。

そして球団からは、200万円の罰金を科された。

世間には「桑田は金に汚い。」という者もいたが、桑田真澄は一切弁解せずに野球に集中した。

そして1989年は、登板回数:30回、うち完投20回、投球イニング数:249回、17勝9敗、防御率:2.60。

ジャイアンツは8年ぶりに日本一になった。

そして桑田真澄は念願だった自分の家を建てた。

さらば桑田真澄、さらばプロ野球


しかし1990年、シーズン開幕直前、中牧昭二の著作『さらば桑田真澄、さらばプロ野球』(年間売上げ19位、ノンフィクション部門8位)が刊行された。

この中で、カドヤスポーツ販売促進課長だった中牧昭二は、桑田真澄にアドバイザリー契約を結ぶ見返りに多額の裏金を要求され、それを支払ったと主張した。

桑田が「昭ちゃん。裏金で月に20万くれたら(カドヤスポーツの製品を)使ってもいいよ。」

「裏金を20万から30万にしてくれないか。」

1987年11月にカドヤスポーツと桑田が2年500万円で正式契約を結んだときは「本契約以外に、裏金で500万円ほしい。」

「車が欲しい。ソアラがいい。」などと要求したと書かれてあった。

こうした裏金疑惑以外にも、親しくしている会員制メンバーズクラブの社長に登板日を教えたという記述があり、桑田真澄が野球賭博に関与した疑いも持たれた。

それ以外にも「ソープランドへ連れて行ってほしい。」

「(ドラフトの時、清原和博に対して)ザマアミロと思ったね。

ぼくが1位指名されるのはわかっていたから、いまに泣き面が見られるぞと楽しみにしていたんだ。」

「ぼくが入団発表をする日、あいつ(清原)のお母さんがぼくのお母さんに厭味の電話をしてきたんだ。あそこはどうもそういうところがある。」

「あいつ(清原)のことをすごいというけど、何かタイトルを取ったのか。あいつにぼくのことを言う資格はない。タイトルを取ってから、ものを言えっていうんだ。」

などという内容も掲載されていた。

まず賭博疑惑については、ジャイアンツの寮の近くに中華料理屋があり、桑田真澄は何度か通ううちにオーナーと親しくなった。

そして「桑田君、明日、投げるんでしょ?」といわれ「頑張ります。」と答えた。

これを中牧昭二はみていたという。

そしてこのオーナーには、賭博で有罪判決を受けた過去があった。

もちろん桑田は情報を渡すことで、このオーナーからお金をもらったことはなかった。

カドヤスポーツの裏金疑惑については、中牧昭二は、大阪、広島、名古屋など桑田の遠征に必ず帯同したとし、接待費として毎月、何百万円もの経費を会社にあげていた。

しかし桑田真澄は、試合前に、酒を飲まない。

たとえ飲む場所に行っても、牛乳かミネラルウォーター。

カドヤスポーツが、その領収書の日付と店名、桑田真澄の遠征先を照らし合わせて調査してみると、それが虚偽であることがわかった。

このスキャンダル後も、桑田真澄の契約は継続された。

桑田真澄は、中牧昭二を訴えた。

中牧昭二は、拓殖大学からカドヤスポーツに入社し、販売促進課に勤務し、1990年に『さらば桑田真澄、さらばプロ野球』を出版しベストセラーとなった。

1992年、大仁田厚率いるFMWに入団しプロレスラーデビュー。

その後、プロレス団体を転々とし、2003年、参議院議員になった大仁田の秘書となった。

この疑惑とは別件で、高級時計や小遣いをもらったことがあると桑田真澄が認めたため、1990年のシーズン開幕から1ヵ月間の試合出場停止と罰金1000万円が科された。

桑田真澄は、なにも弁解せず、毎日、2軍の練習場に通った。

しかしマスコミは尾行し続けた。

謹慎中から謹慎が解けた後も、裁判も続いた。

人間不信、電話恐怖症となり、自殺まで考えた。

こうして散々叩かれ、嫌な思いをしながらも、1990年の成績は、登板回数:23回、うち完投17回、14勝7敗、防御率:2.51。

ジャイアンツはセ・リーグ優勝、2連覇を果たした。

借金地獄

1991年、桑田真澄に待っていたのは借金地獄だった。

資産の運営を任せていた元義兄(姉の元夫)の過剰な土地投機が、バブルが弾け、地価が低下し、失敗。

元金20億、金利だけで年1億という巨大な借金だけが残ったという。

桑田真澄は、1年前に建てた自宅や土地を売却し、足らずは銀行に融資してもらい、借金を借金で返した。

後は野球に打ち込むしかなかった。

そして1991年シーズンは、登板回数28回、うち完投17回、投球イニング数:227回、16勝8敗、防御率:3.16。

逆境ほど燃える桑田真澄らしい結果だった。

「投げる不動産!」「借金王!」

1992年、1993年は、逆境だった。

つらい2年間だった。

逆境をはねのけようと一生懸命努力したが、反比例するように低迷した。

球場では「投げる不動産!」「借金王!」とヤジられ、モノを投げられた。

中にはタンを吐きかける者もいた。

1992年シーズンは、10勝14敗、防御率:4.41。

年棒は1000万円近くダウン。

長嶋茂雄がジャイアンツの監督に復帰した1993年シーズンも、8勝15敗、完投数8、防御率:3.99。

年棒は再び1000万円ダウンした。

しかし桑田真澄は自分を信じて、自分流の努力を続けた。

不調の原因を、体のバランスの崩れと断定し、チューブを使ったトレーニングや、PNF(固有受容性神経筋促通法)トレーニングなど、体の上下前後左右のバランスを整えるトレーニングを導入。

そして一心にシャドーピッチングに励んだ。

そして見事に復活した。

真のエース

1994年8月13日、阪神タイガース戦で、セ・リーグタイ記録の16奪三振で完封。

1994年10月5日、ヤクルト戦に先発登板。

8回ツーアウトまでノーヒットノーランだったが、8日の首位決戦に備えるため降板。

10月7日夜、宿舎で長嶋茂雄監督に呼ばれ「しびれるところで、いくぞ」といわれた。

10月8日、7回裏、ジャイアンツが3点リードの状態から登板。

8回裏、先頭打者のPL学園の後輩:立浪和義が一塁ベースに執念のヘッドスライディングをして左肩を脱臼しながらも内野安打とした。

9回裏、最後の打者を大きなカーブで空振り三振に打ちとり、3イニングを無失点に抑えて胴上げ投手となった。

最後の三振をとった後のガッツポーズは、多くの野球ファンの記憶に刻み込まれている。

プロ野球日本選手権シリーズでは、ジャイアンツはライオンズと対戦し、4勝2敗で勝利。

5年ぶり、18度目、東京ドームでは初の、そして長嶋茂雄にとって監督として初の日本一だった。

桑田真澄の1994年シーズンは、14勝11敗、防御率2.52、奪三振185、最多奪三振、セ・リーグ最優秀選手 (MVP)を獲得。

ジャイアンツのエースとして認められた。

右肘負傷

1995年6月15日、阪神タイガース戦の3回表、湯舟敏郎の放った三塁線沿いの小フライを捕ろうとして、右肘を強打。

6回途中まで投げた続けたが、後の検査で、右肘側副靭帯断裂の重傷を負っていたことがわかった。

アメリカで、トミー・ジョン手術(自分の左手首から健全な靭帯を移植する手術)を受けた。

そして1995年と、1996年のシーズンは、治療に専念した。

桑田ロード

術後、ボールが投げられない期間が長く続いた。

桑田真澄は、「ボールは投げられなくても下半身は鍛えられる。」と球場のグラウンドをひたすら走った。

桑田真澄が、走り続けた外野の芝生は、剥げ上がり、「桑田ロード」 と呼ばれるようになった。

再起

1997年4月6、661日ぶりにカムバックしたとき、桑田真澄は、マウンドで膝をつき、プレートに右肘をつけた。

そしてこの試合で、バントフライに対して、迷わずダイブし、周囲を凍りつかせた。

1997年シーズンは、10勝を挙げた。

低迷

1998年は、9年ぶりに開幕投手となった

そして16勝を挙げ、前年度、1試合の投球数に制限が設けられていたものを取り外し、7完投をマークした。

  • 1999年は、8勝9敗5セーブ。
  • 2000年は、5勝8敗。
  • 2001年も調子は上がらず、4勝5敗。
  • 1998~2001年までの4年間は、いずれも防御率4点台。

古武術

2002年から、古武術をトレーニングや投球フォームに取り入れた。

そして12勝6敗と4年ぶりの2桁勝利、防御率2.22、15年ぶりの最優秀防御率のタイトルを獲得。

ジャイアンツ引退

  • 2003年は、前年のような投球ができず5勝3敗、防御率5.93。
  • 2004年は、3勝5敗、防御率6.47。
  • 2005年は、0勝7敗、防御率7.14。
  • 2006年4月13日、走塁中に右足首を捻挫。
  • 2006年4月27日、広島戦では3回途中6失点でKOされ、2日後に1軍から登録が抹消された。
  • 2006年9月23日、自身のホームページでジャイアンツ退団を示唆。
  • 引退か、他球団で現役を続行するのか、注目された。

パイレーツ

2006年11月2日、2007年シーズンよりメジャーリーグに挑戦することを表明。

2006年12月20日、ピッツバーグ・パイレーツと契約。

そして春季キャンプに参加した。

桑田真澄は、開幕メジャー入りを目指していた。

2007年、3月26日、オープン戦で登板した際、センター前ヒットを打たれ、三塁ベースカバーに入ったとき、球審と激突し、右足首の靭帯を断裂してしまう。

パイレーツは桑田を解雇せず、故障者リストに入れて、リハビリをサポートした。

そして2007年6月2日、3Aのインディアナポリス・インディアンズで、公式戦初登板を果たした。

この投球が評価され、2007年6月9日にメジャー昇格。

2007年6月10日、39歳70日でヤンキースタジアムのマウンドに立ち、メジャー初登板を果たす。

しかし2007年8月14日、1勝も挙げられないまま(日本時間では15日)にピッツバーグより戦力外通告を受けた。

19試合登板し、0勝1敗、防御率9.43。

2008年、再びパイレーツとマイナー契約を結び、春季キャンプに参加。

オープン戦では好投をみせた。

2008年3月26日、野球選手として現役引退を発表した。

引退後

2008年6月、グリーンスタジアム神戸で、吉原孝介や清原和博の打撃投手をつとめた。

2008年9月23日、引退試合を行われた。

2009年1月28日、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程1年制コースに合格。

2010年3月25日、首席で修了。

修士論文、「『野球道』の再定義による日本野球界のさらなる発展策に関する研究」は最優秀論文賞を受賞した。

スポーツ解説者として、質より量の長時間練習、グラウンドで飲酒喫煙をする野球指導者、年長者や指導者に絶対服従、体罰など、日本の野球の指導の仕方について問題点を挙げている。

おわりに

ロゴ

いかがだったでしょうか?

桑田真澄さんの生い立ちから引退後までをご理解いただけれいれば幸いです。

本日もお読みいただき、ありがとうございました!

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